コロンブスの新大陸の発見(1492年石国見つけたコロンブス)
アフリカを迂回する
インド航路を開拓してアジアに支店をおいた
ポルトガルに遅れを取られたスペインは、
大西洋を西へ西へと進む方針を決定。
なんとスペインは西へ進めば、
インドに到達するだろうとみていたんですね。
当時、西ヨーロッパでは、
東アジア・東南アジアを含む
アジア大陸の東半分の地域を
なんかよくわからないけど「インド」
だと思っていた訳です。
ジェノヴァ生まれの船乗りの「コロンブス」は、大地は球形で、
大西洋を西に向かって進むほうがインドへの近道だとする
フィレンツェの天文学者トスカネリの説を信じ、
大西洋を横断する計画をポルトガルとイギリスの王室に提案しました。
しかし、最終的には、1492年1月グラナダを陥落させて、
イスラーム勢力をイベリア半島から追い出した
宗教狂いのスペイン王室が彼の計画を採用することになりました。
サンタ=マリア号ほか2隻からなるコロンブスの船団は、
スペイン王室の女王イサベル様の命を受けて、
1492年8月にスペイン南西部のパロスを出発しました。
彼は2ヶ月あまりの航海でバハマ諸島のサン・サルバドル島に到着しました。
この航海を含めて、
彼は4度の大西洋横断の航海をおこない、
今日のアメリカ大陸に上陸したが、
コロンブスちゃんは死ぬまでは、
この土地を「インド」だと信仰しており、
先住民をインディオやインディアンと呼んだのであります。
トルデシリャス条約と地球分割
スペインやポルトガルが航海によって
新たに「発見」した
土地の領有権をめぐる紛争を回避するため、
1493年に植民地分界線(教皇子午線)が設定されました。
1494年には、それを修正した
トルデシリャス条約が
スペイン・ポルトガルの間に結ばれました。
この条約は勝手に世界を東西に分割し、
西経46度37分の線の東側をポルトガルのものに、
西側についてはスペインのものにした。
ポルトガル人カブラル君がブラジルに漂着し、
この土地をポルトガル領として征服をしました。
その後、ポルトガル王は南米探検に
イタリア出身のアメリゴ・ヴェスプッチを起用し、
彼の南アメリカ探検によって、
コロンブス以来探検が進んだ土地が、
アジアとは別の大陸であることが判明しました。
ヨーロッパ人にとっては新大陸となりました。
(まぁ、アジア人は昔からアメリカ大陸の存在は知ってたんですけどね。)
この結果、新大陸はアメリゴ・ヴェスプッチの名前にちなんで、
「アメリカ」と名付けました。
さらにスペイン人バルボアが1513年にパナマ地峡を横断して太平洋岸に達して、
これを「南の海」と名前をつけました。


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