事件の内容
2001年9月11日、
アメリカ合衆国のニューヨークなどの都市で
同時的に攻撃される事件、
いわゆるアメリカ同時多発テロ事件が発生しました。
双建していた世界貿易センタービル(WTC)などが倒壊してしまいました。
この事件によって、約3000人が亡くなりました。
事件の背景
アメリカへの積年の恨み
パレスチナ問題を抱える中東諸国では
ユダヤ民族国家イスラエルへいつも支援する
アメリカへの恨みは大きいものでした。
イスラエルの建国や中東戦争には、
いつもアメリカが介入しました。
イスラエルと対立する
中東諸国の外交的不信感は大きいものでした。
ターリバーンとアル=カーイダ
アフガニスタンでは
「イスラム教の聖典・クルアーン(コーラン)に載っていることのみが正義だ」
と唱えるイスラーム原理主義組織ターリバーン(タリバン)が政権を握っていました。
そのターリバーンの保護のもとにあった
イスラーム急進組織・アル=カーイダ(al-Qaida)の
オサマ・ビンラディンが事件の実行者であるとして
2001年10月、アフガニスタンへの空爆を開始しました。
アフガニスタンをテロ集団と同じだと!と言ったことと変わりません。
アフガニスタン国民全員が敵だと認識されたのです。
この構図はどこかで見たことある気がします。
また、この事態は、事実上のイスラム諸国への宣戦とも捉えられます。
イスラーム教の聖典・クルアーンで報復法が示されており、
簡単に言うと、「イスラーム教徒が殴られたら、イスラーム教徒全員で殴り返せ」というざっくり言うとそういうのが載っており、アメリカは世界に嫌われる一因にもなりました。
国際的制裁
NATO(北大西洋条約機構)
2001年10月、
NATO憲章第5条による集団制裁をはじめて実施。
日本
2001年10月29日にテロ対策特別措置法等を制定。
人道・復興支援のために日本から自衛隊を派遣するという内容であった。
その後、2004年1月からは、
イラク支援復興特別措置法により、
自衛隊をイラクのサマワに派遣しました。
国連中心主義政策から米国主導政策へ
ユニラテラリズム
アメリカへメイフラワー号で
上陸した移民の子孫が中心となってできた
WASP(white Anglo-Saxon Protestant)などの
伝統的保守層を支持基盤を得て成立した、
同じファーストネームをもつブッシュ大統領の息子で
共和党のジョージ・ブッシュ大統領(Bush 1946~)は
この9.11事件被害ののち、
今までは体裁的には国連中心主義を保っていましたが、
アメリカ中心のユニラテラリズム(単独行動主義政策)へと
うつっていきます。
そのアメリカが自ら決めた軍事行動は
必ずしも他国の賛同を得ているわけではありませんでした。
仮想敵国との戦いとその正当化
仮想敵国とは
テロ集団を組織する国家、テロ支援国家指定のこと。
ミサイルディフェンス(MD)の正当化
ミサイル=ディフェンス、
通称MDとも省略される計画が立ちます。
これは、
アメリカ本土及び、
世界中の米軍基地を狙った
ミサイルを迎撃する計画のことです。
ABM制限条約の一方的破棄
2001年12月14日、
弾道弾迎撃ミサイルの数を制限する条約の
ABM制限条約破棄をロシアへ通告しました。
アメリカは
- ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したため、
条約の必要性がなくなったということ - テロ集団の出現による対応に迫られたため
理由としてあげました。
当然、ロシアは反発します。
ブッシュ・ドクトリン
上記のように、
「将来アメリカに向けて、
大量破壊兵器を使用するおそれのある国への
先制攻撃は自衛の範囲である」
とするブッシュ・ドクトリンを
2002年ジョージ・ブッシュ大統領は演説で宣言しました。
敵基地攻撃能力の承認です。
事前に攻撃するかもしれない相手は殺してもいいという考えが、
ブッシュ・ドクトリンです。
そのブッシュ・ドクトリンの考えのもとに行われたのが2003年のイラク戦争でした。
国連安全保障理事会の武力行使の承認がないまま、
イラク制裁を実施し、
サダム・フセイン体制を崩壊させました。
その後のイラクのテロ組織
IS(イスラミックステート)は、
サダム・フセイン体制の中枢が作り出し、
恨みが恨みを呼ぶ展開となっていきました。
結局、今のウクライナ侵攻より
イラク戦争のほうが理由はひど過ぎると思いますね。
大義名分はないですから。
元犯罪者は家族ごと殺してしまえ。
みたいな考えがアメリカの国家戦略
ブッシュドクトリンです。
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