坂本龍馬が歴史の教科書から消えたとしても、
サイト運営主は歴史用語を増殖させることで、
歴史に少しでも興味をもってもらえれば、
と考えています。
薩長連合の締結
薩長連合締結の背景
長州藩の背景
長州藩の軍備強化を背景に、
幕府から第1次長州征討の戦後処理として、
領地削減などを求められてもこれに応じませんでした。
長州藩はまたまた
幕府に反抗する姿勢をみせるようになりました。
長州藩は外国に負けたことで、
外国の強さを自ら体感していました。
四国連合艦隊下関砲撃事件
長州藩外国船砲撃事件と四国連合艦隊下関砲撃事件
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第1次長州征討と奇兵隊
第一次長州征討(征伐)と高杉晋作のクーデター
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薩摩藩の背景
薩摩藩は生麦事件から薩英戦争にいたる一連の流れで、
イギリスとの戦争を通じて、
武力による攘夷の困難さを
自ら思い知らされました。
生麦事件
薩英戦争と参預会議~生麦事件の報復と島津久光の野望~
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薩英戦争
薩英戦争と参預会議~生麦事件の報復と島津久光の野望~
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イギリス公使・パークスによる雄藩連合政権への期待
1864年からイギリスの対日政策は
少々変わることとなります。
1865年、オールコックに変わって、
パークス(Harry Parks/1828~1885)が
イギリス公使に着任します。
イギリスは薩摩・長州と手を結び、
貿易を行うことで、武器を輸出し、
軍事行動を伴わないで
新しい政権ができることを
希望するようになりました。
薩長連合の締結
薩摩藩の実権
1865年から薩摩藩では、
西郷隆盛(さいごうたかもり)・大久保利通(おおくぼとしみち)らが
藩の実権を握りました。
藩論は開国・武力倒幕に統一されました。
長州藩の実権
長州藩では、
高杉晋作らが藩政を握りました。
同じく開国・武力倒幕に向かって進みました。
長州再征に向けての幕府の対外政策
幕府は長州藩に武器を売らないよう
諸外国に要請しました。
これを受けて諸外国は、
長州藩に武器を売ることを控えました。
薩長への坂本龍馬の説得
土佐藩の坂本龍馬と中岡慎太郎は、
八月十八日の政変以来の薩長のわだかまりを捨て、
両藩を連合させるための説得を試みました。
幕府倒幕の密約(薩長連合の成立)
1866年1月、
大坂で薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)・西郷隆盛、
長州藩の木戸孝允の間で討幕の密約が交わされた。
これを薩長連合といいます。
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