2022年9月27日(和暦:令和4年9月27日)は、
安倍晋三の国葬儀の日でしたね。
呼び捨てで失礼しますが、
基本、このブログは政治家には敬称はつけませんので、
ご了解いただきますようお願いします。
まだ、第二次安倍内閣に関しては、
当方データを持っていないため、
第一次安倍内閣についてまとめたいと思います。
それでは、見ていきましょう。
第一次安倍晋三内閣の成立
小泉純一郎内閣の退陣を受けて、
自民党総裁選が2006年9月20日に行われました。
昭和には「三角大福中」という政治家ユニットがありましたが、
平成の政治家ユニット「麻垣康三」の
「康」以外の3人が立候補しました。
- 安倍晋三
- 麻生太郎
- 谷垣禎一
の3人が立候補しました。
・・・・・・安倍氏は20日の自民党総裁選で(省略)国会議員票と地方票を合せた全体の3分の2という分厚い支持で新総裁についた。(省略)麻生氏と谷垣氏がそろって100票の大台を超え、安倍陣営が目標とした7割の得票に及ばなかった。
得票総数は、党所属国会議員の403票と党員・党友数に(省略)地方票300票の計703票。(省略)有効投票総数702票で争われました。党員・党友の投票率は61.45%で、(省略)
安倍氏は国会議員票で267票、地方票で197票を獲得した。支持を受けた森、丹生、古賀、伊吹、高村、二階グループの5派閥に加え、若手・中堅主体の再チャレンジ支援議員連盟や当選7回以上のシニア会など派閥横断の組織からも幅広い得票を得た。・・・・・・
朝日新聞社「自民新総裁」に安倍氏 得票6割超える
ということで、自民党総裁選で圧勝し、
2006年9月26日(和暦:平成18年9月26日)に第90代日本国内閣総理大臣に任命されました。
第一次安倍晋三内閣の政策
安倍内閣の誕生
第一次安倍晋三内閣は、
キャッチフレーズが
「美しい国づくり内閣」とセルフプロデュースしました。
安倍内閣はのちに書くであろう
第二次安倍内閣でもネーミングセンスが上手く、
わかりやすい政策を矢継早に打っていきました。
しかし、
組閣した閣僚は「お友達内閣」と揶揄されることも多かった。
自分の身近な人で内閣を固めたと批判されました。
主な政策
教育基本法の改正
安倍晋三内閣は教育基本法を60年ぶりに改正しました。
主に、
- 愛国心
- 道徳心
- 郷土愛
を教育基本法に加筆しました。
道徳が教科化されたのは、
この時の学習指導要領の改定の影響です。
(間違えてたら随時コメントお待ちしています。)
例:教育基本法2条変更前
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
例:教育基本法2条変更後
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
国民投票法の制定
日本国憲法には、憲法改正規定が日本国憲法96条に制定されていましたが、法律は存在していませんでした。第一次安倍内閣で国民投票法を制定し、その方法について、多少、具体的課題は残りましたが、制定することができました。
防衛省の省への昇格
第一次安倍内閣のときに、防衛庁を防衛省へと昇格しました。
これは安倍内閣のタカ派姿勢(軍拡姿勢)をあらわすもので、
国論は2つに割れていきました。
「消えた年金」問題
当時、年金手帳の記録が年金を払っているのに、受給できないという問題が話題になりました。
民主党の長妻昭などは厳しく追及しました。
正直、まだ個人的によくわかってないので、
この件に関してはこのあたりで一時的にまとめます。
官僚の「天下り問題」
この時、官僚の天下り問題も話題になりました。
官僚が引退後、政府の関連企業に再就職していたという問題です。
これがのちの民主党政権のときのトリガーにもなりました。
結局、民主党政権が官僚を操れなかったのも、
この件が大きいです。
あいつぐ閣僚の不適切発言
当時、
国会の論戦の場で「ナントカ還元水」という言葉や、
謎の「顔面に絆創膏」などの出来事が相次いで発生しました。
結局、自殺されたり、これも最終的に謎な連続事件でした。
第一次安倍内閣の退陣
結局、第一次安倍内閣は、
自分の仲間の不祥事によって、
支持率を落とし、
2007年の参議院選挙で敗北し、
実質的に引責する形で退陣します。
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