竹下登内閣の成立
竹下登は中曽根康弘の指名で後継の首相の座につきました。
「ふるさと創生」-1億円を自治体にプレゼント-
ふるさと創生事業を竹下登はまず最初に出します。
ふるさと創生事業とは1億円を日本全国の自治体にあげるので、地方をなんとかしてね。というものです。町おこし運動や村おこし運動頑張れとボーンッとだしました。
自治体は地方政治の機関ですので、政治運営の経験はあっても、ビジネス経営のノウハウはほとんどありませんでした。そのためいきなり1億円が入って経営してみても失敗に終わるところがほとんどでした。失敗だけならいいのですが、維持費として自治体の歳出が漏れ出ていくので余計に地方は衰退していきました。
マスコミの批判と竹下登の人物像
マスコミは竹下登を「言語明瞭・意味不明」と皮肉っていました。
すごく耳に入る言い方の演説はするのですが、漢語が多くて何言っているのかがわからないという批判をしました。
2022年現在の東京の小池都知事はカタカナばかりですが、漢語や外来語に傾倒せずにもっとわかりやすい言葉を使えばいいのになぁ・・・とは思います。
(そういう目立つ戦術ならアリだとは思いますが…)
竹下登自体は周囲の人からは気配りと根回しがうまかったと評価されています。
牛肉・オレンジの輸入自由化
牛肉・オレンジの輸入自由化が決定したのも竹下登内閣です。
上記のリンクを参照にしてください。
リクルート事件
リクルート・コスモス社が川崎市の助役に未公開株を譲渡し、川崎駅前の開発の便宜を図った贈収賄事件です。法律で禁止されているいわゆるインサイダー取引でした。
昭和天皇の容態の悪化
リクルート事件のさなかに昭和天皇は容態が悪化していきます。
当時はテレビでは宮内庁をバックに天皇の血圧を随時放送していました。
そうした中で、世間では自粛ムードが広がり、どんちゃん騒ぎはやめようという空気が国民全体に広がっていきました。
結婚式は控えられ、運動会の紅白の幕も控えられました。
元号法と「平成」の到来
1989年1月7日、昭和天皇が崩御。
当時の皇太子であった明仁親王が即位しました。
元号法に基づいて年号は「平成」となり、「昭和」は終わりました。
ちなみに小渕恵三官房長官がその当時、「平成」を発表しました。
コラム:昭和と平成の由来
昭和は書経から
昭和は中国の四書五経の1つ書経からとったもので、「百姓昭明、協和万邦」という言葉に由来しています。
平成も書経から?
平成も中国の四書五経・書経からとったともいえます。「地平天成」からとったという説もありますが、史記の「内平外成」という説が一般的です。
日本内外の平和を祈った文章ですが、平成時代は日本経済が平(低成長)になり、外が正実したように感じます。
消費税3%の導入
竹下登内閣は、消費税3%を導入してしまいました。
財布の中に1円玉が多くなったのはこの頃からです。
100円で買えていた商品が103円するようになり、100円玉ではおやつも買えなくなりました。そんな悲しい時代が消費税導入によってはじまりました。
竹下登内閣の退陣
農産物輸入自由化問題とリクルート事件と消費税導入によるトリプルパンチで支持率は下がっていきました。
竹下登内閣は退陣を余儀なくされます。
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