関ヶ原の戦いでの東軍の勝利後、
徳川家康は幕藩体制を築き上げていきます。
幕藩体制とは?
幕府と藩からなる組織です。
幕府とは江戸城のこと。
藩とは、地方大名の組織体制そのもののことを指します。
江戸時代は藩とは言わず、国と言っていました。
藩という名称は、
1868年に正式に成立しましたが、
廃藩置県で、藩そのものが無くなります。
藩の当主である大名は、
幕府の方針の範囲で
さらに独自の藩法を独自に成立することができました。
当時の日本はいわゆる合衆国制で、
さまざまな藩の連合体として、
成立していました。
地方分権ルネッサンス時代とも言えるでしょう。
地方の大名たちは、
参勤交代と軍役などで、
江戸城の中央支配組織とも結びついていました。
ということは、
江戸時代は中央集権的とも言えるのです。
幕藩体制は、
地方分権の中央集権組織体制
と言えます。
大名の領土は、
将軍から知行地として、
任意にセレクトされた土地です。
その領地を大名が一時的に預かっているというもの。
これを大名知行制といいます。
江戸時代初期には、大名から家臣に知行を与えて、
領民を支配させるシステムも導入されました。
これを地方知行制といいます。
蜂須賀藩の福良氏などが有名ですね。
俸禄制
ところが、
将軍が選択した任意の大名を転封(あるいは移封)から、
領地と人民を将軍の直轄に戻し、
将軍がセレクトした別の領地を任すことを決定される場合があります。
今どきでいう片道切符の転勤令が出されることがあります。
ということは、今風に言うと支店長と部下ごと全部移動する訳です。
当然、そこの地に根をはってしまうと、
部下からの好感度が下がってしまいます。
ということは、土地ではなく、
お米を支給することにしました。
日本人はお金という便利なものより、
お米が好きなんでしょうね。
俸禄制という、米の現物支給が行われます。
21世紀はじめの日本では違法行為なので、良い子は真似しないでね。
その結果、組織は土地由来ではなく、
むしろ大名から下に降りる組織体制へとなっていきました。
転封は改易という取り潰しよりはマシですが、
江戸時代初期ではよく見られていました。
江戸時代は封建社会?
江戸時代は封建社会と習う人も多いと思いますが、
このようにもはや宙に浮いている組織でした。
大名も世襲制ではあるものの、
別に地盤がある土地かと言われたらそうでもない。
現在の山形県に大友氏の藩もありましたが、
大友氏は大分県が根城でした。
また、江戸時代では土地経済ではなく、
米経済と貨幣経済。しかも貨幣も種類がばらばら。
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