戦後行われた五大改革指令の一環で、
女性参政権が認められるようになります。
法的には男女平等が成立していきます。
五大改革指令~アメリカとの日本改革~
1945年10月11日に、GHQのマッカーサーは五大改革指令を幣原喜重郎に口頭で伝えます。日本の非軍事化と民主化をすすめるために指令され、全部実現されました。5つの改革とは、女性解放、労働組合の奨励、教育制度改革、圧政撤廃、経済民主化の5つです。これらにより日本は民主国家の道を歩きはじめます。
しかし、この法改正でも、
性別関わらず国民の意識が変わっていないため、
この法律だけではあまり地位は向上していきませんでした。
女性参政権
1945年12月に
衆議院議員選挙法が改正されて、
大選挙区制が導入されました。
満20歳以上の男女に選挙権が与えられる。
有権者の人口比率は50%となりました。
50%しかない理由
当時は子どもの割合が多く、
二十歳未満が50%もいるぐらい
多かったという理由です。
当時は子どもの割合が多く、
二十歳未満が50%もいるぐらい
多かったという理由です。
1946年4月10日の帝国議会最後の
衆議院議員の総選挙で、
39名の女性代議士が誕生します。
この初めて女性議員が誕生した日は、
女性の日とされるようになりました。
http://release.co.jp/r/84186/
ちなみに、
この投稿をしている11月19日が女性の日です。
この人数は、
2005年の郵政選挙で、
43名の女性議員が当選するまでの
最高記録でした。
家制度解体
戦前は女は
「結婚したら家に入る」という考えが
浸透していました。
民法が改正され、戸主権は廃止されます。
家制度も解体されました。
今でもこの風習は、
地方では残っているところもあります。
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