15世紀の後半から、
ヨーロッパでは、
- 政治
- 経済
- 社会
- 宗教
- 文化
など
あらゆる観点において未来的な動きが段々とできてきました。
そうした動きは、
近現代の世界にもダイレクトに繋がる要素にもなっています。
そのため、歴史学界ではこの15世紀の後半以降を「近代」とする考え方が大昔は一般的であったんですが、今では近代を2つに分けまして、「15世紀後半から18世紀後半以降」を近世、「18世紀初頭から20世紀初頭」までを近代と呼ぶのが一般的な考え方になっています。
近世では地球史上重要なのは、この時期に見られた色々な変化がヨーロッパ内部の出来事にとどまらず、ヨーロッパ人が遠く、アジアやアメリカ大陸への航海に積極的に進出して、地球規模での地域間交流がより盛んになったからである。
これを今日言われる「世界の一体化」はこのように始まり、
その点とくに注目して15世紀~17世紀にかけての時期を、
大航海時代と呼ぶこともあります。
大航海時代がもたらしたもの
ヨーロッパでは十字軍から始まって、
日本を黄金の国ジパングと紹介したことで知られる
マルコ・ポーロの『世界の記述』(東方見聞録)などに刺激されて、
豊かなアジアの富や文化に対する関心が強まっていった。
遠洋航海を可能にする技術的改良があったことも重要である。
羅針盤座の改良が進み、
カラック船などの新しい快速帆船が普及しました。
莫大な富をもたらすゴールド(金)や、
アジアの特産品の香辛料は、
新たな財源を求める君主など、
多くの人々を惹きつけました。
とくに、西ヨーロッパでは14世紀以来家でご飯を作ることが普及し、
胡椒などの香辛料の需要が高まっていましたが、
その貿易はイタリア諸都市の商人に独占されていました。
なので、独占をぶっ壊せば、大きな富が手に入ることが期待できたのです。
さらに国土回復運動(レコンキスタ)のなかで、
イスラーム教徒に対抗するためにも、
キリスト教を海外に普及しようとする意欲も高まりました。
大航海時代の先駆けとなったのは、
アフリカの南を回ってインドに向かおうとする
ポルトガルの動きでありました。
ポルトガルは1415年にジブラルタル海峡に面した
アフリカ北端の都市セウタを侵略。
その後、アフリカ西岸を南に侵略し、
この事業の推進に重要な役割を果たしたのが、
航海王子「エンリケ」です。
その後、ジョアン2世の1488年、バルトロメウ・ディアスちゃんがアフリカ南端の喜望峰まで達成した。さらに1497年7月にリスボンを出発したヴァスコ・ダ・ガマちゃんが喜望峰を迂回しアフリカ東岸にでて、1498年5月にインド西岸のカリカットに到着しました。彼はその翌年の1499年には、そこで得た香辛料を本国に持ち帰ることに成功しました。
この当時、インド洋はムスリム商人の活動圏で、
ガマちゃんもアラブ人ムスリムの水先案内人を雇って、
以後、ポルトガルはムスリム商人と対抗して、
香辛料貿易へのシェア拡大競争へと自らの手で進んでいく。
ポルトガルによるインド航路の開拓は、
王室が深く関わった一種の国営事業として行われ、
それによって実現した
香辛料の直接取引は
ポルトガルの王室に莫大な利益をもたらし、
そして、
ポルトガルの首都リスボンは
一時世界商業の中心となりました。


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