アッシリアの名前の由来
セム系のアッシリアはティグリス川上流にあった最初の首都であるアッシュルまたは同名の天神アッシュルに由来する。
アッシリアのオリエント統一
アッシリア人は500m台の山に住んでいたため、下流域のような穀物栽培は不可能だった。そこで内陸中継貿易に活路を求めた。
前14世紀にミタンニ王国より独立し、民族大移動により旧勢力が一掃されたあと、強大な軍事国家になった。アッシリアは鉄の武器を持った最強の軍団で前8世紀後半サルゴン2世のときにバビロニア・シリア、前7世紀の前半のエサルハドン王のときに、エジプトを征服しオリエントを統一した。
アッシリアの圧政
首都ニネヴェに世界最古の大図書館を設立したアッシュールバニパル王の時版図は最大になった。アッシリアは広大な領土を州にわけ、総督をおいた。また駅伝制をもうけて、中央集権の強化を図る。
四王国分立時代
しかし、重税と圧政、例を挙げると、抵抗した都市の住民の生皮を剥いで城壁に貼り付けたり、串刺しにしたりした。また、強制移住させたりしたため、前7世紀中頃にエジプトが独立。イラン高原にメディア王国が小アジアにリディア王国が成立した。アムル人の1派と思われるカルデア人は前625年、新バビロニアを樹立。アッシリアは前612年に新バビロニアと同盟したメディアに攻撃され首都ニネヴェは陥落そして、アッシリアは滅亡した。アッシリアはメディア・リディア・新バビロニア・エジプトの4王国分立時代となった。メソポタミアからシリア・パレスチナへかけても肥沃な三日月地帯を支配した新バビロニアが優勢だった。ネブカドネザル二世の時代が最盛期で首都バビロンに空中庭園なども作られた。
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