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幕末明治時代初期

戊辰戦争と江戸城無血開城

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幕末
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前回、新政府が、徳川慶喜を政権に加えず、
辞官納地を迫ったことで、徳川慶喜は大坂城に引き上げたことをお伝えしました。

江戸幕府の滅亡~大政奉還と王政復古と徳川政権の終わりの理由~
第15代将軍は坂本龍馬の船中八策を受け継いだ公儀政体論に基づく土佐藩の進言を受け入れ、天皇へ大政奉還をします。しかし、徳川中心の公儀政体論に反発した岩倉具視は薩長に討幕の密勅を出します。さらに、王政復古の大号令をだし、幕府を認めず、徳川慶喜から官職と領土を奪うことを宣言し、徳川との対決姿勢を鮮明にするのでした。
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戊辰戦争の由来

戊辰とは、干支が戊辰だったことに由来します。
因みに干支は十干十二支とも呼ばれ、
十干と十二支の組み合わせで表されます。
一周するのに120年かかり、それは人の一生の極限だとも言われます。

甲乙丙丁己庚辛壬癸

十二

子丑寅卯巳午未申酉戌亥

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鳥羽・伏見の戦い

1868年(明治元年/戊辰)1月、旧幕兵や会津・桑名の兵を率いて
徳川慶喜は上京しようとしました。
これを迎え撃ったのは、薩長両藩を中心とする新政府軍(官軍)でした。
この戦いを、鳥羽・伏見の戦い(とばふしみのたたかい)といい、
これが戊辰戦争の幕開けとなりました。

錦旗(錦の御旗)
新政府軍が勝利した要因の1つに錦旗(きんき)があります。
錦旗とは錦の御旗(にしきのみはた)ともいう、
朝廷側の軍であることを示す旗で、
幕府軍の中には、朝敵になることを恐れ逃げ出すものもいました。
錦の御旗
徳川慶喜は朝敵になったことに青ざめ、
軍艦で江戸へ脱出しました。
そうして、幕府軍は敗北しました。
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江戸城無血開城

1868年3月、
新政府側を代表とする西郷隆盛と、
旧幕府側を代表する勝海舟の間で行われました。
仲介したのは、イギリス公使パークスでした。
イギリスは内戦が貿易に悪影響を及ぼすことを恐れており、
新政府軍の江戸城への攻撃を反対していました。
初め、江戸城総攻撃を主張していた西郷隆盛も、
パークスの意向を知って態度を軟化させました。
勝海舟は、西郷隆盛との会談で、
インドや清国の例を上げて、
内線の拡大が国家の独立を危うくすることを説き
平和のうちに江戸城を明け渡すことで、
両者の話し合いも合意に至りました。

上野戦争

江戸城無血開城に反対した彰義隊(しょうぎたい)は、
上野に立てこもり、大村益次郎の指揮する新政府軍に1日で降伏しました。

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会津藩の抵抗と奥羽越列藩同盟

会津藩はなお、新政府軍に抵抗する意思を示し、
仙台藩を始めとする東北諸藩も奥羽越列藩同盟を結成して、
会津藩を支援しました。
会津藩では、藩主・松平容保(まつだいらかたもり)をはじめ、
白虎隊(びゃっこたい)などが官軍に徹底抗戦しました。

白虎隊
主に16~17歳で編成されました。
会津戦争に出陣して敗北しました。
生き残った20名も全員自刃しました。

新政府軍はこれを攻撃し、
1868年9月会津藩は降伏し、
東北地方を平定します。

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五稜郭の戦い

旧幕府の海軍を率いて函館の五稜郭(ごりょうかく)に立て籠もり、
抗戦を続けていた榎本武揚(えのもとたてあき)や新撰組の土方歳三らも降伏し、
ここに戊辰戦争は終わりを告げ、新政府のもと国内統一が成し遂げられました。

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戊辰戦争の死者

戊辰戦争の死者数は約8000人で、
うち新政府軍は約3500人、うち幕府軍は4700人です。

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