宋の中央集権化南宋の成立と金の繁栄 宋の南遷北宋の滅亡のとき、徽宗の第9子で、欽宗の弟の趙講は、金軍との交渉で、首都開封を離れていた。そのため、金に北へと拉致されずにすんだ。1127年5月に南京応天府で南宋・初代皇帝高宗として即位。健炎と改元する。(宋は五行思想によると火属性... 2014.10.27宋の中央集権化
宋の中央集権化靖康の変と北宋の滅亡 靖康(せいこう)元年(1126年)の冬、金は宋のこれまでの嘘や約束違反を責めて、開封を占領。莫大な財貨や芸術品とともに、上皇徽宗や皇帝欽宗、宗室や官僚総勢約3000人が北に拉致された。これを年号をとって靖康の変(せいこうのへん)という。北宋は滅亡した 2019.11.09宋の中央集権化
宋の中央集権化西夏(せいか) 唐末、黄河が曲がるオルドス地方で発生したチベット系民族がタングート族で東西交通の要衝の地である敦煌を押さえて、その利益で強大化した。初めの頃、太祖(趙匡胤)はオルドス方面に対して、羈縻政策(ゆるくつなぎとめる支配)を行っていたが、982年、... 2020.04.24宋の中央集権化
宋の中央集権化宋の建国と中国統一とその政策 趙匡胤らの中国再統一960年、後周の部将で親衛隊長である節度使・趙匡胤(ちょうきょういん)が人望があり、部下の将兵に推されて、後周の皇帝世宗の死後、遼の侵入の危機の中、恭帝から禅譲されて、宋(北宋)を建国。皇帝(太祖)に即位。大運河と黄河の... 2014.10.13宋の中央集権化
魏晋南北朝五胡十六国時代 五胡とは?南匈奴の子孫の匈奴、匈奴の別種と言われる羯(けつ)、モンゴル系あるいはトルコ系の鮮卑、チベット系の氐(てい)や羌(ぎょう) の諸民族の総称。304年の漢(前趙)~439年の北魏の華北統一までの間に漢民族が興した国も含めて、20以上... 2020.04.10魏晋南北朝
魏晋南北朝西晋の成立から八王の乱による短命での滅亡と東晋としての復興 魏の帝室は一族間の争いで勢力を失う。かわりに勢力をつけたのは、司馬氏だった。曹氏vs司馬氏曹芳vs司馬懿第3代曹芳(そうほう)の時代になると、司馬懿(しばい)が権力を強め、曹氏一族を追い詰め始める。曹髦vs司馬昭第4代曹髦(そうぼう)は司馬... 2020.07.25魏晋南北朝
古代中国文明秦の中国統一と政治と秦の滅亡 秦王の政のとき、法家の李斯を起用し、前221年中国を統一。「王」にかえて「皇帝」(煌々たる上帝、光り輝く絶対神)の称号を創始。すなわち秦の始皇帝である。都は引き続き咸陽(かんよう)内政 中央官制では丞相(じょうしょう)(行政)太尉(たいい)... 2020.05.24古代中国文明
古代中国文明古代中国の戦国時代 前403年晋は家臣によって、韓・魏・趙に分裂。前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した戦国策に戦国時代の名は由来する。晋の分裂を春秋時代と戦国時代にわけたのは北宋の司馬光(しば こう)の資治通鑑(しじつうがん)による。戦国時代には周王の権威は地... 2022.02.17古代中国文明
古代インド・東南アジアベトナム北部の古代史-ドンソン文化・南海三郡・大越など- ベトナム先史時代畑作文明に生まれた黄河文明に対して、長江流域の稲作地帯には越人が住んでいた。越人は呉・越・楚などの国を建国し、南下して青銅器〜鉄器文化を北ベトナムに伝えた。青銅の太鼓の銅鼓(どうこ)を代表とするこの文化は遺跡の名をとってドン... 2020.07.25古代インド・東南アジア