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統一

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平安時代初期

格式、儀式、権門・寒門

嵯峨天皇の代に法整備が進んだ。格式律令の補足修正・補足した令である新法の格(きゃく)と律令書格の具体的な施行細則の式に分けた。律令にかわる新法が平安時代になると不可欠となった。奈良時代は律令の時代。平安時代は格式の時代とも言える。弘仁格式こ...
宋の中央集権化

宋の建国と中国統一とその政策

趙匡胤らの中国再統一960年、後周の部将で親衛隊長である節度使・趙匡胤(ちょうきょういん)が人望があり、部下の将兵に推されて、後周の皇帝世宗の死後、遼の侵入の危機の中、恭帝から禅譲されて、宋(北宋)を建国。皇帝(太祖)に即位。大運河と黄河の...
宋の中央集権化

五代十国時代

朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外は...
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隋・唐時代の繁栄

南詔(なんしょう)

雲南地方において、唐と吐蕃の間を縫って、7世紀末~8世紀前半に統一された、チベット=ビルマ系の王国。唐文化を取り入れ、漢字を使い、仏教を奨励したが、唐が衰退すると、よく唐の四川地方に侵入して、唐を苦しめた。10世紀初めに内紛によって滅亡。そ...
隋・唐時代の繁栄

渤海(ぼっかい)

698年、中国東北部において、高句麗の遺民大祚栄(だいそえい)がツーグース系靺鞨(まっかつ)族を統一し建国。震(しん)国と名載っていたが、713年唐に朝貢して渤海郡王に封ぜられた結果、渤海と称した。都は中国風の上京竜泉府(じょうきょうりゅう...
隋・唐時代の繁栄

唐の建国と貞観の治

唐の建国李淵(りえん)とは?太原留守の任にあった隋末の混乱の中、各地の反乱を抑えて、中国を再統一したのは李淵(りえん)・李世民(りせいみん)親子であった。関中を占領すると、李淵(高祖)が唐を建国し、都を長安に定めた。人口は100万人を超え、...
隋・唐時代の繁栄

隋の中国再統一6世紀末、北周の外戚だった楊堅が実権を握り、581年北周を倒して隋を建国しました。都を、西周・秦・漢の都が置かれた地に新しい都大興城を建設し文帝と称しました。さらに589年、南朝の陳を滅ぼし中国を久々に再統一しました。政治制度...
魏晋南北朝

北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで

北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代...
魏晋南北朝

五胡十六国時代

五胡とは?南匈奴の子孫の匈奴、匈奴の別種と言われる羯(けつ)、モンゴル系あるいはトルコ系の鮮卑、チベット系の氐(てい)や羌(ぎょう) の諸民族の総称。304年の漢(前趙)~439年の北魏の華北統一までの間に漢民族が興した国も含めて、20以上...
魏晋南北朝

西晋の成立から八王の乱による短命での滅亡と東晋としての復興

魏の帝室は一族間の争いで勢力を失う。かわりに勢力をつけたのは、司馬氏だった。曹氏vs司馬氏曹芳vs司馬懿第3代曹芳(そうほう)の時代になると、司馬懿(しばい)が権力を強め、曹氏一族を追い詰め始める。曹髦vs司馬昭第4代曹髦(そうぼう)は司馬...
魏晋南北朝

三国時代

後漢末、華北で184年黄巾の乱を契機に,反乱が各地に起こり、地方の治安は著しく悪化した。このような中で、後漢は豪族に官位を与えて,地方の安定を図ろうとした。その中の成功者は空華北の魏の基礎を築いた曹操と江南の呉の建国者孫権と四川の蜀を建てた...
古代中国文明

前漢の全盛期:武帝の統治(前141年〜前87年)

武帝は、劉邦が建国した漢(前漢)の第7代皇帝です。彼はそれまでの「無為にして治める(何もしない)」方針を捨て、強力な中央集権化と積極的な外征へと舵を切りました。1. 中央集権の確立(内政)武帝は、皇帝の権力を絶対的なものにするために、諸侯の...
モンゴル民族の発展

蒼き狼の大モンゴル帝国(イェケ・モンゴル・ウルス)の建国

最初は弱小のモンゴルのテムジンは、父は殺され、妻は孕ませられ、散々でしたが一族を率いるときがやってきて、ユーラシアの覇王となる日がやってきます。それでは見ていきましょう。
古代中国文明

前漢初期の政治~劉邦から呉楚七国の乱~

都・長安皇帝となった高祖・劉邦(りゅうほう)は都を長安に定めた。 渭水盆地の農業力 交配の四川盆地の豊かさ 水運の便 防衛に有利などが長安を都に定めた理由です。新都では、未央宮(びおうきゅう/前漢の宮殿)や前殿、闕などの建設が進められます。...
古代中国文明

秦の中国統一と政治と秦の滅亡

秦王の政のとき、法家の李斯を起用し、前221年中国を統一。「王」にかえて「皇帝」(煌々たる上帝、光り輝く絶対神)の称号を創始。すなわち秦の始皇帝である。都は引き続き咸陽(かんよう)内政 中央官制では丞相(じょうしょう)(行政)太尉(たいい)...
古代中国文明

古代中国の戦国時代

前403年晋は家臣によって、韓・魏・趙に分裂。前漢の劉向(りゅうきょう)が編纂した戦国策に戦国時代の名は由来する。晋の分裂を春秋時代と戦国時代にわけたのは北宋の司馬光(しば こう)の資治通鑑(しじつうがん)による。戦国時代には周王の権威は地...
古代インド・東南アジア

火山と神々の島:古代ジャワ王国の興亡史

インドネシアの政治・経済の中心地であるジャワ島。この島は古くから肥沃な大地を背景に、スンダ人とジャワ人という異なる民族が共生し、インド文化の影響を強く受けた独自の王朝文化を花開かせてきました。1. ジャワ島の地理的特徴ジャワ島は大きく3つの...
古代インド・東南アジア

消滅した民族「ピュー人」

1世紀頃、イラワディ川(エーヤワディー川)中流域にはチベット=ミャンマー語族のピュー人(驃人/ひょうじん)(テュルチュルと自称)が都市国家を作っており、南部にはモン人が住んでいた。ピュー人ピュー人はエーヤワディー川周辺のプローム地方を中心に...
古代インド・東南アジア

古代カンボジア-港市・扶南・真臘・アンコール朝・チャンパー-

港市の成立起源前後からインドの東南アジアなどへの進出が活発になった。理由はカースト制の排除を目指す仏教布教などがある。インド人の海洋進出者は地中海世界の人間が買ってくれる黄金、香料、樹脂などを求めて、東南アジアへやって来た。こうして東南アジ...
古代インド・東南アジア

ヴァルダナ朝と南インドの歴史:ハルシャ・ヴァルダナの時代

ヴァルダナ朝の成立(606年)606年、北インドの混乱の中でハルシャ・ヴァルダナ(戒日王)は台頭し、北インドを統一しました。ハルシャ・ヴァルダナはカナウジを都とし、新たな王朝としてヴァルダナ朝を建国しました。ハルシャ・ヴァルダナの統治下で北...
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