河野家応仁の乱 関東の享徳の乱とともに戦国時代の開幕を告げる乱。嘉吉の乱の戦後処理と山名宗全と細川勝元の対立1447年、山名宗全(やまなそうぜん/宗全は出家後の名前。本名・持豊もちとよ)が嘉吉の乱で足利義教とともに殺された山名煕貴(ひろたか)の娘(宗全の養... 2022.08.13戦国時代河野家
宋の中央集権化南宋の成立と金の繁栄 宋の南遷北宋の滅亡のとき、徽宗の第9子で、欽宗の弟の趙講は、金軍との交渉で、首都開封を離れていた。そのため、金に北へと拉致されずにすんだ。1127年5月に南京応天府で南宋・初代皇帝高宗として即位。健炎と改元する。(宋は五行思想によると火属性... 2014.10.27宋の中央集権化
関東享徳の乱-~応仁の乱並に複雑~わかりやすく解説→関東は乱の結果分裂 関東の情勢関東の支配体制は鎌倉公方と関東管領を2大頂点としていました。鎌倉公方は伝統的守護家に支えられ、関東管領上杉氏は中小国人衆に支えられていました。享徳の乱の内容享徳の乱の幕開け嘉吉の変後、足利成氏あしかがしげうじが鎌倉公方になりました... 2020.07.25戦国時代関東
魏晋南北朝魏晋南北朝の社会~土地制度編~占田課田法・屯田制など 魏の屯田制漢時代の軍屯漢代の国境周辺で行われていた平時は農民として耕し、戦時は兵士として戦う、兵農一致の制度のことです。これを軍屯といいます。魏の民屯魏の曹操は軍屯とは別に、戦乱のため荒れた土地を国有化し、人民を募集して、耕させて、その収穫... 2019.12.10魏晋南北朝
魏晋南北朝中国南北朝時代の南朝(六朝)について 東晋東晋成立後、華北から戦乱を避けるために、漢人の貴族や豪族、農民が移住した。発展が遅れていた長江の中下流域は、急速に発展した。宋の建国と南朝の成立東晋はおよそ100年続いたが、末期は政治が乱れ、華北への反攻で戦果をあげた武人出身の劉裕(り... 2022.05.07魏晋南北朝
魏晋南北朝北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで 北魏道武帝(在位388年~409年)前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、配下の諸部族が次々と独立しました。このときに鮮卑族の拓跋部たくばつぶ・拓跋珪たくばつ けいは、代王に即位して、ついで魏王となりました。三国時代... 2020.06.11魏晋南北朝
古代中国文明後漢(赤眉の乱から黄巾の乱)光武帝と和帝。成立から滅亡まで 光武帝の時代後漢の建国漢一族で武帝の弟のしそんである劉秀(りゅうしゅう)が赤眉の乱(せきびのらん)を平定し、25年後漢(こうかん)を成立させた。漢帝国の復活である。光武帝(こうぶてい)は200年の安定の基礎を築いた。戦乱で荒廃した長安ではな... 2023.05.27古代中国文明