平安時代中期 アジア中国滅亡東北 平安時代の国際関係と刀伊の入寇 2015年9月4日 9世紀から10世紀にかけて東アジア諸国は激動の時代を迎える。 諸国の変動 中国 華北・華南 中国では唐が政権を握っている時代であったが、8世紀半ばの安史の乱の影響で国は荒れ、ついに黄巣の乱を契機に907年滅んでしまう。979年に宋が中国を統一するまで、五代十国時代が続き、混乱時代を呈すこととなる。 東北部 耶律阿保機(... ベルヤン
宋の中央集権化 中国北京滅亡母 南宋の成立と金の繁栄 2014年10月27日 宋の南遷 北宋の滅亡のとき、徽宗の第9子で、欽宗の弟の趙講は、金軍との交渉で、首都開封を離れていた。そのため、金に北へと拉致されずにすんだ。1127年5月に南京応天府で南宋・初代皇帝高宗として即位。健炎と改元する。(宋は五行思想によると火属性なので、宋の再興を意味する。) 主戦派と和平派の対立 南宋と金が激しく交戦す... ベルヤン
宋の中央集権化 アジア中国中央アジア滅亡 耶律阿保機の遼(大契丹国)建国から滅亡と西遼まで 2014年10月20日 遼の成立 北アジアに強大な勢力をふるっていたトルコ系のウイグルは、840年にイェニセ川上流のキルギスにより崩壊して、西遷。これは北アジアの民族交替を意味する。 この間を縫って、モンゴル高原で勢力を握ったのはモンゴル系の契丹(きったん)族(キタイ)である。契丹はシラム=レン・ラオハ=レムン流域で遊牧生活を送っていた一... ベルヤン
宋の中央集権化 中国周経済大陸 五代十国時代 2014年10月12日 朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外はすべて都は開封(汴州)。後晋は建国時の見返りに、契丹に燕雲十六州を与えた。 後周... ベルヤン
モンゴル民族の発展 タイモンゴル中朝 元末の情勢と紅巾の乱 2014年10月4日 元末の情勢 元末の混乱 14世紀、 クビライの次の成宗の死後、帝位継承をめぐり相続争いが続いた。 帝位継承制度がクリルタイのままだったので、一族の権力争いが続いた。 代表的な例として、上都派と大都派にわかれた混乱である天暦の内乱が起こる。 それに加えて、華北の大雨や黄河の大氾濫や江南の干ばつといった自然災害が頻発するも... ベルヤン
モンゴル民族の発展 中国北京滅亡日本 元の成立 2014年5月28日 元の成立 モンケの死によって、後継者を決めなくてはならなくなりました。 しかし、モンケの子供たちは20代と若く即位できず、 モンケの弟のフレグは遠征中のため即位できませんでした。 そのため、後継者はクビライ(フビライ)とアリクブケ(アリクブカ)に絞られてしまいました。 クビライは華北の総督で開平府に在住しており、アリク... ベルヤン
モンゴル民族の発展 アジア中央アジアシリアタイ モンケ・カン(モンケ・ハーン) 2014年5月22日 即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251年トゥルイ家とジョチ家は強引にクリルタイを開き、モンケを皇帝に選出。 モンケの統治モンケ... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 地方貴族郡官僚 律令体制における民衆支配 2014年5月20日 均田制北魏から始まった土地制度。唐の均田制では、丁男(ていだん・21~59歳の男)中男(ちゅうだん、ちゅうなん・16~20歳)一代に対し、口分田(北魏~隋までの露田)を80畝(ぼ)支給し、丁男に税を課し、永業田(代々世襲・作物は主に桑、隋までの桑田)を20畝、計100畝。永業田でその土地を本籍として戸籍台帳をつくり、確... ベルヤン