イスラーム帝国の形成と発展と分裂 アジアインドidcaption スンナ派・アイユーブ朝の建国とクルド人のサラディンvs十字軍 2016年4月24日 アイユーブ朝の建国 建国 シリアのザンギー朝(Zangi/1127~1222)からエジプトに派遣されたクルド人の武将・サラディン(Saladin/サラーフ・アッディーン/Salah al-Din/在位1169~93)は、ファーティマ朝の宰相となる。宰相となったサラディンはファーティマ朝の実権を握ることとなる。そして十... ベルヤン
平安時代中期 数文書例農民 悪吏 2015年11月23日 悪吏とは 受領(ずりょう)の中で、巨利をあげるために強欲な振る舞いを行った人。任地で郡司や有力農民から暴政を訴えられるケースがしばしばあった。 大宰大弐(だざいだいに)藤原惟憲(ふじわらのこれのり/963~1022) 「随身の珍宝はその数を知らず、九州二島の物、底を払って奪い取る」 『小右記』 悪吏の例 以下に悪吏の例... ベルヤン
平安時代中期 タイ地方農業乱 地方政治の混乱~初期荘園と国司制の変質~ 2015年9月11日 荘園制度編 荘園とは 地方豪族や有力農民が、9世紀後半までに院宮王臣家と組んで、開墾した自らの田(墾田)のこと。荘園をどんどん増やしていった。 荘園の変遷 初期荘園(墾田地系荘園) 8世紀から9世紀にかけての荘園を初期荘園といい、墾田地系荘園ともいう。この荘園は、自ら開墾した自墾地系荘園と既墾地形荘園に分類される。墾田... ベルヤン
イスラーム世界 アジアアフリカインド中央アジア シーア派の時代-サーマーン朝・ブワイフ朝・ファーティマ朝- 2015年8月31日 タラス河畔の戦いで唐が中央アジアから撤退したあと、中央アジアのトルコ系遊牧民がイスラーム帝国へと侵入を繰り返した。 サーマーン朝 建国 アッバース朝はイラン系軍人を総督(アミール)として国境においた。しかし、このイラン系軍人が独立してサーマーン朝(875年~999年)を建国。 内政 都・ブハラ サーマーン朝はブハラに都... ベルヤン
飛鳥時代 日本地方天皇統一 天智天皇の時代 2015年2月11日 天智天皇の即位 中大兄皇子は長い間斉明天皇の死後、皇太子のまま政治を行う称制で政務を行っていたが、668年即位して天智天皇(てんじてんのう)となる。 新羅の朝鮮統一 この年、唐・新羅連合軍は高句麗を滅ぼした。670年から両者は戦争状態に陥る。676年、唐は新羅の勢力を駆逐して半島を統一した。 近江令と庚午年籍 近江令... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 アジアインド中国中央アジア 唐の社会~西域商人の活躍と市場独占と貧富の拡大~ 2014年10月22日 市 市は唐代に城郭内の一区画に設けられた商業交易のための地域。長安の東市・西市が有名。 市舶司 市舶司(しはくし)は玄宗時代に広州に初めて設置された海上貿易管理機関のことである。 その機関はその後、泉州、上海などの貿易港に置かれ、官民貿易や渉外、徴税に治安などを司った。 胡人の活躍 海上貿易ではイスラーム商人のアラブ人... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 中国滅亡夏経済 唐の衰退と滅亡 2014年5月29日 安史の乱とその後の混乱 節度使の反抗 安史の乱に際して、唐朝は藩鎮(はんちん)をくまなく配置して、各地域の防衛の任に就かせた。長安陥落により門閥貴族は没落。門閥貴族は官人営業田という名目で広大な私有地を持っていたが、武官の節度使は計算が苦手だった。そこで、事務員として雇われたのが新興地主層の形勢戸である。形勢戸は官僚と... ベルヤン
モンゴル民族の発展 アジア中央アジアシリアタイ モンケ・カン(モンケ・ハーン) 2014年5月22日 即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251年トゥルイ家とジョチ家は強引にクリルタイを開き、モンケを皇帝に選出。 モンケの統治モンケ... ベルヤン