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五代十国

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平安時代中期

平安時代の国際関係と刀伊の入寇

9世紀から10世紀にかけての東アジアの動乱の結果、日本は積極的な孤立政策をとるようになる。安史の乱などによって荒れ果てた中国には訪れる意味はなく、宋の時代になっても国交は開かれなかった。しかし、民間の貿易は盛んになっていった。  また、女真族が攻めてくるこれを刀伊の入寇という。
宋の中央集権化

宋の建国と中国統一とその政策

趙匡胤らの中国再統一960年、後周の部将で親衛隊長である節度使・趙匡胤(ちょうきょういん)が人望があり、部下の将兵に推されて、後周の皇帝世宗の死後、遼の侵入の危機の中、恭帝から禅譲されて、宋(北宋)を建国。皇帝(太祖)に即位。大運河と黄河の...
宋の中央集権化

五代十国時代

朱全忠が建てた後梁(こうりょう)は中華大陸を統一することなく、わずか16年で滅び、そののち、後唐、後晋、後漢、後周とたった50年の間に華北で5王朝が入れ替わった。後唐、後晋、後漢は突厥系節度使(沙陀部)が建てた王朝で、後唐(都は洛陽)以外は...
隋・唐時代の繁栄

唐の衰退と滅亡

安史の乱とその後の混乱節度使の反抗安史の乱に際して、唐朝は藩鎮(はんちん)をくまなく配置して、各地域の防衛の任に就かせた。長安陥落により門閥貴族は没落。門閥貴族は官人営業田という名目で広大な私有地を持っていたが、武官の節度使は計算が苦手だっ...
古代インド・東南アジア

ベトナム北部の古代史-ドンソン文化・南海三郡・大越など-

ベトナム先史時代畑作文明に生まれた黄河文明に対して、長江流域の稲作地帯には越人が住んでいた。越人は呉・越・楚などの国を建国し、南下して青銅器〜鉄器文化を北ベトナムに伝えた。青銅の太鼓の銅鼓(どうこ)を代表とするこの文化は遺跡の名をとってドン...
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