日清戦争は大日本帝国と大清帝国との間の戦争です。
前回、まとめた甲午農民戦争がきっかけで起こります。
甲午農民戦争の反乱は鎮圧しましたが、日本と清王朝の軍隊は残っていましたが、いよいよ日本と清の両軍は激突し、日清戦争が勃発します。
日清戦争の推移
日清戦争1894年8月1日ですが、前哨戦として正式に始まるのは1894年7月25日豊島沖海戦で日本が利します。これで清がイギリスから借り受けていた艦船が沈みます。
その後、1894年9月17日、黄海海戦で日本が物量で上回ったため、清国軍に勝利します。技術的には別に清もガレオン船とかではなく、巡洋艦で戦いました。
その後、1895年1月から2月にかけての威海衛の戦いでも日本が勝利し、日本が渤海と黄海の制海権を獲得します。
その後、日本軍は遼東半島に上陸し、北京が目前となった中で、停戦交渉が行われます。
日清戦争の日本の勝因
日本が大国・清に勝ったのは次のような要因があると考えられています。
日本も清国もイギリス・ユダヤ金融の支援を受けていました。
そのため、技術的な差自体はほぼありませんでした。
中国も洋務運動で技術だけは産業革命が行われていました。
日本が勝てた理由は、
- 日本は富国強兵で軍艦の数が中国より上回っていたこと。
- 日本は西洋式の軍制を導入し、上下の連絡がスムーズに取れていたこと。
- 日本は清に敗戦すると、植民地化されるリスクがあり、士気が高かったこと。
の3つが影響されています。
清は士気が低く、組織や練度も封建制度のままの軍事家系のみの集団。
日本は徴兵制度で、国民一丸として戦争の組織体制を構築していました。
組織制度も上意下達できる体制を整えていました。
21世紀に日中戦争が起こった場合、日本は艦船の数で中国単体で負けており、ロシアからも出てきた場合、艦船の数が数的不利になると予想されます。また、自衛隊はイジメ問題やセクハラ行為など組織の規律も乱れており、また艦隊の座礁など練度の低下も見られるため、日本単体では勝利することはほぼ不可能でしょう。
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