加藤高明内閣は1925年に3つの大きな仕事をしました。
- 日ソ基本条約
- 治安維持法
- 普通選挙法
です。
実際に見ていきましょう。
日ソ基本条約
日ソ基本条約を結び、
日ソ間の国交を樹立しました。
吉澤謙吉とカラハンの間で
中国・北京で結ばれました。
これによって、
ニコラエフスク事件以降占領していた
北樺太から撤兵しました。
しかし、北樺太の石油・石炭開発利権は日本は獲得しました。
これが21世紀に至るまで続いています。
治安維持法
- 虎ノ門事件
- 普通選挙実施
- 日ソ基本条約
- 日本共産党再建
これらの事件が背景で、
治安を取り締まる必要が出てきました。
1900年に治安警察法が制定されていました。
治安警察法が社会・労働運動を抑えるための法律だったのに、
治安維持法は恐怖による統治で、
その人の考え方や思想までも統制の対象としました。
普通選挙法
改正衆議院議員選挙法です。
選挙資格の中の直接国税額の条件が解除されました。
つまり0円になったということだけ。
選挙権は25歳以上の男子にしか与えられておらず、
女性から見れば普通選挙とは言えませんでした。
第二次加藤高明内閣
加藤高明内閣は護憲三派内閣でした。
政友会総裁に高橋是清に変わって田中義一が迎えられ、
政友会は革新倶楽部を吸収・合併しました。
護憲三派のバランスが崩れて、
第1次加藤高明内閣は退陣しました。
改めて、
第2次加藤高明憲政会単独内閣が誕生しました。
宇垣軍縮
加藤高明内閣の陸軍大臣・宇垣一成が、
4師団を廃止して軍隊を最新化するために、
大規模な軍縮を行いました。
これを宇垣軍縮といいます
「憲政の常道」
加藤高明内閣以降は、
衆議院で多数を占めた政党が政権を担うシステムになりました。
これを憲政の常道といいます。
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