イスラーム帝国の形成と発展と分裂 アジアインドidcaption スンナ派・アイユーブ朝の建国とクルド人のサラディンvs十字軍 2016年4月24日 アイユーブ朝の建国 建国 シリアのザンギー朝(Zangi/1127~1222)からエジプトに派遣されたクルド人の武将・サラディン(Saladin/サラーフ・アッディーン/Salah al-Din/在位1169~93)は、ファーティマ朝の宰相となる。宰相となったサラディンはファーティマ朝の実権を握ることとなる。そして十... ベルヤン
ウィーン体制 スペインドイツフランスヨーロッパ ウィーン会議とその体制 2015年12月24日 ヨーロッパで近頃起こっているギリシア問題や移民問題やパリでのテロ事件。直接的な要因は後々の投稿で書く予定であるが、その前提知識としてウィーン会議は知っておかないと話について来れないので、ウィーン会議を先に解説する。 ウィーン会議 背景 ヨーロッパ中を蹂躙したナポレオンがエルバ島に流されたあと、1814年4月に第1次パリ... ベルヤン
帝国主義と列強の展開 アジアアフリカインドドイツ 帝国主義の時代~帝国主義の展開~ 2015年12月22日 現代に至る、欧米諸国とイスラーム過激派組織ISISをはじめとするアラブ諸国の対立の根幹はここにあるのではないかと推察するにいたり、ここに書き記す。 帝国主義とは? 資本主義の欧米列強国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど)が、非欧米諸国を自国の植民地や勢力圏に組み入れる。そのために、他の欧米諸国と競合し、対外膨張... ベルヤン
ヨーロッパ世界の形成と発展 アフリカイベリア半島スペインヨーロッパ 西ゴート王国とアッティラの王国 2015年9月7日 ゲルマン諸族の侵入 西ゴート人がローマ帝国へ侵入した後、西ゴート人への対処だけで精一杯となったローマ帝国の警備が薄くなった北辺にヴァンダル族やスエヴィ族、アレマン族が406年12月31日、氷結したライン川を渡りガリア全域を混沌に陥れた。ローマ皇帝はゲルマン諸族を盟約族(フォエデラティ)として、定住を認めたが程無くして... ベルヤン
イスラーム世界 アジアインド中央アジアシリア テュルク人(トルコ人)の時代~セルジューク朝・カラハン朝・ガズナ朝~ 2015年9月2日 テュルク人の西方移住 テュルク人(トルコ人)はもともと。モンゴル高原に居たが、テュルク系のウイグルがテュルク系のキルギスに倒され西へと敗走。その後、中央アジアで遊牧生活を送っていたテュルク人は,人口増加のためにまた西方へと移住を開始する。 テュルク人のイスラーム教への改宗 イスラーム教徒の商人や神秘主義者との接触などに... ベルヤン
イスラーム世界 アジアアフリカインド中央アジア シーア派の時代-サーマーン朝・ブワイフ朝・ファーティマ朝- 2015年8月31日 タラス河畔の戦いで唐が中央アジアから撤退したあと、中央アジアのトルコ系遊牧民がイスラーム帝国へと侵入を繰り返した。 サーマーン朝 建国 アッバース朝はイラン系軍人を総督(アミール)として国境においた。しかし、このイラン系軍人が独立してサーマーン朝(875年~999年)を建国。 内政 都・ブハラ サーマーン朝はブハラに都... ベルヤン
イスラーム世界 アジア中国中央アジア地方 イスラーム帝国の成立と繁栄 2015年1月20日 "イスラーム帝国"の成立 アッバース革命 750年、ムハンマドの親戚の子孫である アブー=アルアッバースが イラン北東部のホラーサーンを拠点に、 シーア派の反ウマイヤ運動や マワーリー(アラブ人以外のムスリム)の協力を得て、 ウマイヤ朝によるアラブ人支配を倒し、 アッバース朝という新王朝を開いた。 以後、アッバース家が... ベルヤン
イスラーム世界 イベリア半島ヨーロッパ滅亡経済 イスラーム世界の成立 2014年12月24日 正統カリフ時代 正統カリフとは ムハンマドが亡くなると、選挙によってムハンマドの義父、アブー・バクルがカリフ(後継者)に選ばれた。以後4代に渡って、イスラーム教徒の選挙で選ばれたため、正統なカリフと呼ばれた。 聖戦(ジ・ハード) イスラーム教徒の異教徒に対する戦いをそうよぶ。以後ムスリム(身体を神に捧げたもの,イスラ... ベルヤン