イスラーム帝国の形成と発展と分裂 アジアインドidcaption スンナ派・アイユーブ朝の建国とクルド人のサラディンvs十字軍 2016年4月24日 アイユーブ朝の建国 建国 シリアのザンギー朝(Zangi/1127~1222)からエジプトに派遣されたクルド人の武将・サラディン(Saladin/サラーフ・アッディーン/Salah al-Din/在位1169~93)は、ファーティマ朝の宰相となる。宰相となったサラディンはファーティマ朝の実権を握ることとなる。そして十... ベルヤン
イスラーム世界 アジアインド中央アジアシリア テュルク人(トルコ人)の時代~セルジューク朝・カラハン朝・ガズナ朝~ 2015年9月2日 テュルク人の西方移住 テュルク人(トルコ人)はもともと。モンゴル高原に居たが、テュルク系のウイグルがテュルク系のキルギスに倒され西へと敗走。その後、中央アジアで遊牧生活を送っていたテュルク人は,人口増加のためにまた西方へと移住を開始する。 テュルク人のイスラーム教への改宗 イスラーム教徒の商人や神秘主義者との接触などに... ベルヤン
イスラーム世界 アジアアフリカインド中央アジア シーア派の時代-サーマーン朝・ブワイフ朝・ファーティマ朝- 2015年8月31日 タラス河畔の戦いで唐が中央アジアから撤退したあと、中央アジアのトルコ系遊牧民がイスラーム帝国へと侵入を繰り返した。 サーマーン朝 建国 アッバース朝はイラン系軍人を総督(アミール)として国境においた。しかし、このイラン系軍人が独立してサーマーン朝(875年~999年)を建国。 内政 都・ブハラ サーマーン朝はブハラに都... ベルヤン
イスラーム世界 地方建国農業都市 ターヒル朝 2015年2月3日 ターヒル朝の独立 ターヒル朝の建国者であるターヒル。その祖父は、マワーリーの出身で、アッバース朝建国に功績があり、カリフ、マームーンのもとで、軍隊の指揮官を務め、のちにホラーサーンの総督にも任命された。しかし、金曜礼拝で、カリフの名前を読み上げるのをやめ、貨幣からカリフ名前を削除して、事実上の独立宣言を行った。 アッバ... ベルヤン
イスラーム世界 イベリア半島スペイン母日本 後ウマイヤ朝 2015年2月2日 後ウマイヤ朝の成立 アブド・アッラフマーン1世 750年のアッバース朝の建国後、第10代ウマイヤ朝カリフ・ヒシャームの孫のアブド・アッラフマーン1世はアッバース朝によるウマイヤ家の王族が殺害されていたが、それを逃れて名前を変えてパレスチナ→エジプト→モロッコに辿り着いた。アブド・アッラフマーン1世の母親はモロッコ出身で... ベルヤン
イスラーム世界 アジア中国中央アジア地方 イスラーム帝国の成立と繁栄 2015年1月20日 "イスラーム帝国"の成立 アッバース革命 750年、ムハンマドの親戚の子孫である アブー=アルアッバースが イラン北東部のホラーサーンを拠点に、 シーア派の反ウマイヤ運動や マワーリー(アラブ人以外のムスリム)の協力を得て、 ウマイヤ朝によるアラブ人支配を倒し、 アッバース朝という新王朝を開いた。 以後、アッバース家が... ベルヤン
モンゴル民族の発展 アジア中央アジアシリアタイ モンケ・カン(モンケ・ハーン) 2014年5月22日 即位オゴデイ・カン(オゴタイ・ハーン)の長子、第三代皇帝グユクは即位後すぐに病弱のため、急死。ジョチ家とトゥルイ家はモンケを皇帝に推薦し、オゴデイ家とチャガタイ家はオゴデイの指定していたシレムンを推薦した。激しく対立したが、1251年トゥルイ家とジョチ家は強引にクリルタイを開き、モンケを皇帝に選出。 モンケの統治モンケ... ベルヤン
隋・唐時代の繁栄 中国滅亡2日本 唐の建国と貞観の治 2014年5月16日 唐の建国 李淵(りえん)とは? 太原留守の任にあった 隋末の混乱の中、各地の反乱を抑えて、 中国を再統一したのは 李淵(りえん)・李世民(りせいみん)親子 であった。 関中を占領すると、 李淵(高祖)が唐を建国し、 都を長安に定めた。 人口は100万人を超え、 当時のアッバース朝の都バグダードと肩を並べた。 玄武門の... ベルヤン