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日本の生協の誕生から発展まで!!

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日本の生協の誕生

諸説ありますが、戦前からあったと言われています。
日本の協同組合は産業組合法というものが一本でした。
農協法などはありませんでした。
これが、協同組合の条件を満たしているかといわれたら、
若干、異なる点もありましたが、
一人一票などの民主的なものも含まれていましt。
農村の経済を立て直すような産業育成が目的でした。
都市部の産業育成を目指しているものではありませんでした。
ただ、産業組合法の目的に基づかなくても、
都市部でも産業組合はありました。
歴史のある生協では、
灘生協(コープこうべ)があります。

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消費生活協同組合法

いわゆる生協法。戦後の1948年に成立します。
これにもとづいて生協ができています。
「国民の自発的な生活共同組織の発達を図り、」
できたころにおいては、都市部や農村部の勤労者の生活防衛的なものとして作られました。
生活防衛というのは、物不足のための生活防衛です。
たとえば、買い出しです。都市部の人たちが農村部へ買い出しに一括でお願いするものや
ヤミ市に対して、まがい物ではなくて自分たちでいいものを作ろうというものです。

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職域生協の成立

起業経営者と労働組合側の思惑の一致としての期待。
戦後の民主化の中で、労働者が経営者に要求がしやすくなりました。
企業側も労働者側に協同組合が出資して、福利厚生をやってくれれば、
安上がりで済む。ということで、
経営者と労働者の思惑が一致しました。

大学生協

大学生が宣伝広告を打たなくても大学生協にはお客さんがきます。
夏休みは大学生が来ません。採算がとれるか怪しいのです。
昔は、生鮮品を扱う大学生協も多く、
地域における大学生協のあり方も考えていました。

トヨタ生活協同組合

愛知県に限ると職域生協に発展した形で、枠域に限られないカタチで、トヨタ生活協同組合は地域生協と同じぐらいの大きさを誇っています。
地域生協である名古屋生活協同組合より規模は大きいです。

生協の種類

生協には3種類あります。生活協同組合は組合員が相手なので、組合員以外に広告を打つ必要がないので安いです。

地域生協

地域、自治体としてのエリアをもっているものを地域生協といいます。

職域生協

一方、
大学や工場などの職というエリアの生協を職域生協といいます。

事業別生協

事業別生協もあります。事業ごとに応じて行う生協です。
購買生協や医療生協、共済生協や住宅生協もあります。
基本的には購買生協が一番メインで行います。

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市民型生協

これが今現在の生協につながります。
いわゆる都市型の生活に合わせたカタチ。
どちらかと言えば都市近郊の生協です。
東京に通勤する人がいますよね。
東京に通勤する人たちのための団地が
東京周辺にできてきます。
そうする中で、
どうやって市民型生協ができたか?

湘南市民生協

いわゆる京浜工業地帯に通勤する住宅地ですよね。
集団就職で全国各地から新しく住む形で団地が形成されました。
2100世帯いたそうです。
ホワイトカラー的な旦那さんが通勤で東京に行きます。
そういうふうな家族が多くいました。
なんでだかわかりますか?
最初から消費者運動とか
自分たちの求める商品じゃない!というよりは、
新しい生活の場におけるニーズが
積み重なっていくなかで誕生しました。
全く、知らない土地で、
みんな若いです。みんな核家族で、
子どもがいました。
果たして、そこに病院はあるのか?
子どもが生まれて幼稚園は?公園は?学校は?
しかも、ホワイトカラーなので、
所得水準もある。
当時は、旦那さんが働いて、
奥さんは専業主婦として残っている世代でした。
それの延長線上で、
買い物はどうするか?
普通は商店街や駅前でした。
旦那さんは商店街の飲み屋で行けましたが、
奥さんは大変です。
安全性などの公害問題も出ていました。
当時は車は普及していませんし、
そもそも女性の自動車免許取得率も低かったです。
その中でなんとかしようという運動が起こりました。
拉致があかないというカタチで、
最初に行われたのは牛乳の共同購入や
青空市がはじめでした。
こういうふうな中で、
市民運動が盛り上がりました。
ある程度の小さいカタチでやっていっても大変だという形で、
生活協同組合が設立されました。
こういう形で生協の店舗が増えてきました。

ロッチデールと相似点と相違点

どちらも
自分たちは何かしなければいけないのかなぁと
思っていたのです。
ロッチデールの場合は、
男の人が中心で、自営業者。
大きな工場での大量生産に負けて対抗しようという形でした。
一方、湘南市民生協の場合は
専業主婦が主でした。
専業主婦ということは立場が同じです。
普通に自分の子どもの生活のために
ニーズが一致する形で成立しました。

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地域生協の供給形態別事業高推移

店舗の売上は年々減って、
共同購入による事業高が増えていきました

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生協と他店との競合

だんだんと規模が拡大する上で、市民型生協の競争相手はスーパーマーケットができてきます。
消費者のニーズに応えるで両方行っているわけです。

流通革命

ICA原則1966年改定

資本に対する考え方を変えました。
なぜ変えたかといえば、
利用高を戻すことを昔は考えていました。
しかし、戻すと資本が弱体化します。
そこで全部が全部返さなくなりました。

それから…

スーパーのような店舗展開を生協もやりだします。
生協法では近年の改定前は販売エリアが限られてました。
そこで仕入れだけは全国の生協で、共同購入しようということになりました。
合成洗剤をやめようとい声もありました。
そこで、生協は合成洗剤を使わない洗剤を売り出しました。
しかし、スーパーマーケットとの競争を意識しすぎたので、
全国的なチェーン展開を生協もしていってしまいました。
このやり方で生協は破綻します。
1970年代
生協は大都市部が中心でした。
ニーズがないところには生協は出来ません。
東京でも生協もありました。
学園紛争などで就職できない人が、
生協に就職して、
セクト主義のもと右翼左翼紛争があり、
主張の対立がありました。
また、札幌の生協では、
店舗が大量にあり、
借入金までして、店舗を無理矢理拡大して、
破綻しました。

そこでの反省と新しい考え方

①組合員の主体的力量に基づいた展開

いわゆる主体的力量っていうのは、
端的に言って資本金や資本力のことです。
組合員から資本金を集めて、
事業を行うのが基本です。
組合員の主体的力量に基づくものをすればいいでしょ。
スーパーとの競争ではなくて、
身の丈にあったものでいいじゃないか!
という話です。
それを元に組織や事業を運営していこう!!
という形になって、
共同購入へと発展していきます。
共同購入は店舗を持ちませんね。
この考え方で生まれます。

②組合員を基礎とした単体生協の主体性の確立

単体生協というのは○○生協といって、
生協の集まりは連合会です
連合会は日生協といってました。。
単体生協のあつまりである日生協を通さないと
仕入れができませんでした。
日生協のための単体生協のような形になっていきました。
こうすると出資者に対するサービスが奪われていきました。
個別の主体性が失われていって、
店もどんどん増やしていきました。
事業や組織も組合員と生協の形で行うのが、
当たり前ではありますが行われました。
こうした反省のもと地域性のある
各生協単位で個性豊かなコープ商品が誕生します。
地域の食品産業と一緒にやろう!といった
ナショナルブランドではなくて、
その地区の中で、一緒に考えてくれるような
メーカーと組むようになりました。
豆腐やかまぼこ、醤油には
地域によって差があります。
地域単位でいろんなことを考えていくようになりました。
生協運動とはこうあるべきだ!!という
考えがこうして整理されました。

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日本の生協の黄金時代の幕開け

その後なぜ伸びたかといえば、
今度こそ日本の今の生協につながります。
札幌の生協も潰れたわけではありません。
反省のもとつづいています。

共同購入の見直し

市民型生協の原型としての共同購入をみなおしました。
とりわけ新しいカタチではありません。
1970年代中盤から
共同購入というのは、
班単位で当時は注文書が発注されます。
商品によっては、来週くるものや、2ヶ月後に注文届くものもあり、
二重購入もありました。
わざわざパック詰めされるわけではないので、
班長さんが分配します。
班長さんが集金していました。
班長さんの負担が大きかったです。
1970年代後半からは
コンピュータにより宅配することで班長の負担は軽減されました。
 

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