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魏晋南北朝

北朝の北魏~北魏から隋にいたるまで

魏晋南北朝
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北魏

武帝(在位388年~409年)

前秦が淝水ひすいの戦い(383年)で敗北したことをきっかけに、
配下の諸部族が次々と独立しました。

このときに鮮卑族拓跋部たくばつぶ拓跋珪たくばつ けいは、
代王に即位して、ついで魏王となりました。

時代の魏と南北朝の魏
三国時代の魏と区別するために、
南北朝の魏は北魏あるいは
こうぎ
と呼ばれます。
398年、拓跋珪は皇帝になり、道武帝(在位388年~409年)となります。
平城に遷都し、宮殿を造営しました。
道武帝は、
部族解散を実施します。
漢人の文化を取り入れ、遊牧民だった鮮卑の一族を、
定住化させる政策断行しました。
しかし、これまでの
胡族的要素や部族制的側面が、
制度の改変によって直ちに生じた訳ではないです。
北魏の儀礼や祭祀には
胡族的要素が残されていました。
中国制度の全面的導入は、
孝文帝時代になるまで待たないといけません。

太武帝

3代太武帝439年、華北で五胡を統一した。人口の少ない鮮卑は漢人が大多数の人口であるため、漢人の協力は必要不可欠だった。太武帝寇謙之が確立した道教を漢人の宗教という理由で保護し、ついには国教化し、仏教を弾圧して、廃仏を求めた。

廃仏とは

廃仏とは仏教禁止令のこよ。寺は焼かれ、僧侶は捕えられ、元の身分に戻された。
太武帝の暗殺により、廃仏は中止された。仏教は宮廷にも広まっており、仏教教団も政権に弾圧を避けるために求めた。一方道教団は、政権に働きかけ、北魏太武帝

孝文帝

孝文帝(こうぶんてい)は土地制度の均田制や村制度である三長制を行い、税制の基盤を整えた。また、鮮卑語や鮮卑の服装(胡語・胡服)を禁止した。

均田制

華北の戦乱で乱れた土地を回復させ、税収を確保するために、無主の土地を均等に農民に支給し、穀物・絹・徭役(ようえき)などを納めさせたり、課したりする制度。

奴婢(ぬひ)・耕にも支給させていることで、事実上、所有者である豪族に給田された。
⇒皇帝権力は強化された。そのため、最終的には皇帝権力の弱い南朝勢力は北朝勢力によって統一される。
「田」とは

耕地一般のこと。水田ではない。寒冷な地域の華北には水田はあまりみられない。

三長制

5家を1隣、5隣を1里、5里を1党とし、それぞれ長をおいた。
長は役を免除された。治安と徴税の安定を目的とした隣組制度。

漢化政策

漢化政策の目的は絶対的多数の漢民族に溶け込み、鮮卑を生き延びらせるため。都を平城(現・山西省大同市)から洛陽に移して、鮮卑族の風習を禁止し、漢族の風習である儒教を大切にするなどの漢化政策をおこなった。

対・柔然政策

六鎮
モンゴル高原では、新たな遊牧民族・柔然(じゅうぜん)が南下を虎視眈々と狙っていた。それに備えて、北魏は6ヶ所の長城防衛隊を置いた。この長城防衛隊のことを六鎮(りくちん)という。
諸国の朝貢
北魏は北方の柔然を攻撃して、柔然を弱らせたので、高句麗や西域諸国から朝貢を受けた。

北魏の分裂

六鎮の乱

戦闘で活躍した六鎮は胡服を着て、馬に乗って戦うため、漢化した中央の人々に蔑まれた。孝文帝の死後、漢化政策に反発する北方の防衛拠点にいた鮮卑の「六鎮」がおこした六鎮の乱(524年)をきっかけに北魏は有力軍人が権力を握った。

宇文氏・高氏の争い

概要

六鎮出身の宇文氏(うぶんー)と高氏(こうー)が勢力を争い、それぞれが皇帝を立て、西魏と東魏に分裂。さらに、宇文氏・高氏自ら皇帝となりった。その国をそれぞれ北周(ほくしゅう)・北斉(ほくせい)という。

西魏

都は長安に都をおいて,府兵制を始めたが、宇文(うぶん)氏に国を乗っ取られた。

兵農一致の兵制。宇文泰によって創られ、唐時代に整備された。

北周

渭水盆地を拠点にした宇文氏が建てた国。東魏を奪った高氏の中原を拠点にした北斉を併合して、華北を再統一した。北周の外戚が楊堅である。

581年楊堅(ようけん)が北周を乗っ取ってできた国。北魏の華北統一~隋の成立までを北朝という。

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