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古墳時代

ヤマト政権の発展~磐井の乱・二朝並立を乗り越えて~

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古墳時代
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大伴氏の失脚

大伴金村(おおとものかなむら)は武烈天皇の死後、
507年に越前(福井県)から応神天皇の5世孫と自称する
それまでの大王との血縁が怪しい
「男大迹王」(おおどのおう)を迎えて即位させ、
ヤマト政権の血縁断絶の危機を乗り越えようとした。
継体天皇の由来はヤマト政権の体制を継続させるという意味。
512年伽耶西部(日本書紀では任那4県と表記)を百済に割譲。
540年、物部尾輿(もののべのおこし)に
その責任を弾劾されて、
大連(おおむらじ)の地位を退いた。
その後、倭と密接な関係にあった
伽耶諸国は562年までに、新羅や百済の支配下になった。
ヤマト政権は朝鮮半島の拠点を失うこととなる。

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磐井の乱

乱の発生の経緯

527年、近江毛野(おうみのけの)が伽耶を復興するために、対新羅軍を遠征させようとしたところ、ヤマト政権の対新羅出兵に反対する筑紫国造磐井(つくしの(地域・福岡)/くにのみやつこ(身分)/いわい(氏名))は新羅と結んで、ヤマト政権に対して北部九州の勢力をまとめて反乱を起こし、毛野軍の新羅遠征軍の渡海を遮る事件が発生。

乱の鎮圧

このとき継体天皇の在位中で、継体天皇は物部麁鹿火(もののべのあらかひ)を大将軍として派遣。麁鹿火は筑紫の御井郡で磐井との激戦の結果これを斬った。磐井の子の葛子(くずこ)は糟屋屯倉(かすやみやけ)を献じて贖罪を乞うた。岩戸山古墳(いわとやまこふん)は磐井の墓と伝えられる。

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蘇我氏の台頭

二朝併立

継体天皇の死後、安閑天皇・宣化天皇を中心とする勢力と,欽明天皇を中心とする勢力に分裂。二朝分裂で抗争を続けた。安閑天皇・宣化天皇は大伴金村によって支えられていたが、欽明天皇は新しく頭角をあらわした蘇我稲目によって支えられた。539年、両派の和解が成立し、欽明天皇に統一された。欽明天皇のもと、大臣の蘇我稲目と大連の物部尾輿が権力を握った。

崇仏論争

538年に仏教が公伝されて、欽明天皇が家臣にどうするべきか尋ねたところ、崇仏派の蘇我稲目と廃仏派の物部尾輿が子弟の代まで対立。

「西の国ではみなこれを礼拝しております。日本の国だけがどうして背くことができましょうか。(いや、できない。)」

蘇我稲目

と蘇我稲目は強く崇拝を勧めた。

「外国の神様を祀るのは良くない」

物部氏・大伴氏・中臣氏ら

と、両派が戦いだした。

蘇我氏vs物部氏

これを聞いた欽明天皇は、蘇我稲目に、仏像を差し出し、礼拝させたところ世の中は疫病が流行り、多くの死者を出した。蘇我稲目の仏像は反対はによって難波の堀に投げ捨てた。

欽明天皇と蘇我堅塩媛(そがのきたしひめ/蘇我稲目の娘)の間に生まれた用明天皇によって、初めて仏教を信じるようになる。

 物部守屋討伐

用明天皇が亡くなると、その後継を巡って起こったのが仏教崇拝派と仏教排斥派の対立である。排斥派の物部守屋が穴穂部皇子(あなほべのみこ)を皇位につけようとした。587年に大臣を引き継いだ蘇我馬子は穴穂部皇子を暗殺し、厩戸王(うまやどのおう)などの王族や諸豪族を引き連れ、物部守屋を滅ぼした。そして用明天皇の弟である崇峻天皇を即位させた。

蘇我氏による諸政策の推進

大臣(おおおみ/おおまえつきみ)の蘇我稲目により、全国に屯倉や名代(なしろ)・子代の部を置いた。また、大夫(まえつきみ/有力豪族の代表)による合議制が確立。品部制が編成されるなど、国家体制整備の革新となった。稲目は娘二人を欽明天皇の妃として多くの皇子・皇女の外戚となった。そうして権力を振るうようになる。

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