地震被害年表
和暦 | 西暦 | 震源地 |
主な被害地 | 阿波の津波被害地 |
白鳳12年10月14日 | 684年11月29日 | 伊予・土佐・大和 | 不明 | |
正平16年・康安元年6月24日 | 1361年8月3日 | 摂津・大和・紀伊・阿波・山城 | 海部郡 | |
永正9年8月 | 1512年 | 宍喰 | 宍喰 | |
慶長9年12月16日 | 1605年1月31日 | 房総半島沖 | 薩摩、土佐、紀伊、伊勢、伊豆、上総、遠江 | 海部郡 |
寛永4年10月4日 | 1707年10月28日 | 室戸岬沖 | 畿内、四国、東海道、中国、九州 | 海部郡 |
安政元年11月4日 | 1854年12月23日 | 東京湾付近 | 東海道、畿内、北越、阿波、山陽道 | 無し |
安政元年11月5日 | 1854年12月24日 | 紀州沖 | 紀伊、四国、中国、九州、清国、江南 | 海部郡 |
解説
白鳳の地震
阿波に関するものは記録が残っていないが、土佐国では五十万頃の土地が陥没したと記されている。そのため、外側地震帯の活動であることが推測されるので、海部郡でも強大な地震・津波があったと思われる。
康安の地震
外側地震帯の活動に依るものであるが、中でも海部郡由岐における被害は最も甚だしかったものと見え、「太平記」に下記の如く特筆されている。
中にも阿波の雪湊と云ふ浦には俄(にわか)に大山の如くなる潮漲(みなぎ)り来て在家一千七百餘(余)字悉(ことごと)く引潮に連れて海底に沈しかば、家々に有所の僧俗男女牛馬鶏犬1つも残らず底のもくづと成にけり。
~太平記~
もっとも、これは通信機関の不備な昔でもあり、また、だいぶ、誇張して書いた文章でもあるから、鵜呑みにはできないが、兎にも角にも、世上の評判にもあがったものだろう。
永正の津波
永正9年8月の津波は「宍喰浦旧記」と称する記録に詳細に書かれているものではあるが、同月には他地方に大地震のあった記録が少しも残っていないから、大地震があったものとは思われない。
したがって、これは暴風雨による津波であるとおもわれる。旧暦8月はもっとも暴風雨のある時期である。
なお、「宍喰浦旧記」に記してある主文を下記に掲げるが、後世の作でも有り、労々全部正確なものとは信じがたい。人数などもあまりに多すぎるようだ。
永正9年8月洪浪入り宍喰浦中残らず流失、所之城山へ逃げ上るもの数十人なり、南橋より向の町分残らず、流失、しかれども此所山近き故多くの人死これ無く南町の男女凡(おほよそ)三千七百餘(余)人死亡、助命の者都合一千百(余)人、橋より北分町家は痛も之なく、死人多く之有り、橋より向の町一家も残らず流失、其上各屋敷土地悉く堀流し一面川沼と成、住居成かたく、助命の者皆々富浦へ相集り、所の城主藤原朝臣(あそん)孫六郎殿御取立これあり。
~宍喰浦旧記~
慶長の地震
慶長地震に関する海部郡の資料は鞆浦大岩の碑文と宍喰浦旧記の2つが主たるものである。鞆浦大岩の碑文は下記のようである。
敬白、右意趣は人王百拾代御宇、慶長九甲辰(きのえたつ)季、拾二月十六日末 亥の刻※1、月常より白く、風寒く行歩凍る時分、大海三度鳴る。人々大いに驚き、拱手※2する處、逆浪頻に起り、其高十丈、来る事七度、大監と名づく也、剰(あまりさ)へ男女千尋の底に沈むもの百餘(余)人、後代に言ひ傳(伝)ふる爲、之を興し奉る。各々平等必ずなり。
※1亥の刻…午後10時の前後1時間
※2拱手…敬礼の一。両手を組み合わせ、胸にあてて拝礼する。~鞆浦大岩碑文~
安政地震
被害表
板野郡中財國藏氏所藏大地震實録記嘉永七年十一月五日被害
村名 | 惣家敷 | 無難 | 潮入り | 大小破 | 潰家 | 流失 | 流死者 |
西由岐村 | 40 | 10 | 3 | 27 | |||
西由岐浦 | 205 | 3 | 3 | 199 | 16 | ||
阿部浦 | 160 | 97 | 63 | 4 | |||
伊座利 | |||||||
田井村 | 40 | 17 | 16 | 7 | |||
木岐浦 | 203 | 7 | 6 | 190 | |||
日和佐村 | 207 | 113 | 42 | 20 | 32 | ||
西牟岐浦 | 175 | 175 | 2 | ||||
東牟岐浦 | 357 | 2 | 354 | 26 | |||
牟岐中村 | 129 | 8 | 71 | 14 | 36 | 1 | |
川長村 | 40 | 1 | 3 | 36 | |||
灘村 | 66 | 37 | 29 | ||||
内妻村 | 36 | 21 | 2 | 13 | |||
出羽島浦 | 68 | 3 | 25 | 31 | |||
浅川浦 | 260 | 寺三ヶ寺潮 | 入大破 | 260 | 1 | ||
鞆の浦 | 少々アリ | ||||||
宍喰村 | 500 | 180 | 20 | 300 | 7 | ||
竹ヶ島 | 48 | 10 | 38 |
地震の碑文及び記録
つづく…。